2022/05/19:缶バッジをなくした
クローゼットを搔き回していたら、缶バッジがひとつ出てきた。一瞥では何のバッジか思い出せず、つまんで軽く思い巡らすこと暫し。もう解散してしまったインディーズバンドのグッズだ。友人が好きで、ひとつふたつくれたものだ。
しまっておいてもな。でも捨てるのも忍びない。軽い気持ちでお弁当を入れているサブバックに留めてみる。思ったよりかわいいな、もう曲は思い出せないけれど。
半月くらいつけていただろうかそれは、ある日突然消えていた。
消えた缶バッジの行方を思う。この都会の片隅に転がるそれが、ファンの人が目に留める確率なんて限りなくゼロに近い。ましてや作ったその本人たちが。でももしそんな偶然が、全くないとは言い切れないのがこの世の憎めないところだとも思う。そんな知っている人しかわからない青春の残滓が、きっとあちこちに落ちているのだろう。
ワクチン接種の記録
ちゃんと観てますか?『特典映像』
この世に『自分以上にだらしない人間は居ないのではないか? 』と日々思って生きている。
(思いつきで作ったブログなのでまだ体裁整えてないのですが、ここは「だらしない人間」が「加齢と向き合う日々」のふたつのテーマを主軸としています、一応。まあ細かいことはなんでもいいですよねハッハッハ)
月額会費を支払えば、映像や音楽などのコンテンツが自由に視聴できるストリーミングシステムが世の中に浸透して結構経つ。私も音楽と映像などでいくつかお世話になっている。幾ばくかのお金で膨大な量のコンテンツに触れることが出来るのも魅力の一方で、配信されているものに限り(偏り)があったり、かたちあるアートワークに触れることが出来ないという減点ポイン トも勿論ある。しかしモノグサな私にはそれ以上に「 音楽データの取り込みをしなくていい」という恩恵が大きい。聞きたいけれど聞けない音源は買えばいい。手元にずっと置いておきたい音源も買えばいい。それはそれとして、スマホでいつでもサクッと聞けることは本当に素晴らしい。どちらにも無くなって欲しくないと心から思っている。
しかし素直に考えて「モノが売れる」 ことは作り手へのバックも大きいだろう。その辺の話をしたいのでは無いので端折るけど、ディスクを売る人達はストリーミングに対抗してどうにかしてモノを売りたいと考える。そこで出てきたのが「特典」だ。CDや映像ディスクだろうが「限定盤」 と称される、通常盤より少し値段は上がるもののファンにとっては喜ばしい「なにか」がおまけとしてついていることが多く目につくようになった。豪華なパッケージ、ブックレットやグッズがついたり、レアな音源だったり内容は様々だが、最近では映像コンテンツがついていることも多い。バンドならばライブ映像を付けたりもよく目にする。かなりのボリュームで入れてくれることも多く、 一本ライブディスクを買ったと思えば購入者としてもコスパの良さを感じることが多い。ファンは喜んで買うだろうし、出す方ももう終わったライブ映像はクオリティが担保されていて安心だ。わざわざライブ映像をパッケージングして単体として出すのは大変だけど、おまけならばというのも本音であろう。
それはいい。win-winだ。めちゃくちゃありがたいことだし、今後も何卒宜しくお願いしたい。
で、本題に入る。それ、観てますか?『特典映像』ちゃんと観てますか?リリースされて喜んで買って、それちゃんと観てますか?
もう言っちゃいますけど、私はあまり観ていないんですよ!!!!ちゃんと数えた訳では無いけど、申し訳ないくらい見てないです、実は。
もったいなくて、開けたくなくて、とかじゃあないです。単に見てないんです。見る気満々で買ったのに。なんなら、映像の円盤をわざわざ買って観てないのとかある。平気である。 なんでだよ、じゃあなんで買ったんだよおまえは……富豪のお戯れかよ… …むしろ底辺で生きているのに……。
理由を考えてみるに「行ったライブだから」 とかも思いつきましたが、一番の理由は「時間がない」。 そりゃあそうです。今までは曜日を問わずライブへ行きイベントへ行きボドゲをしたりしていた。家にいなきゃそもそも見る時間もない。じゃあ隙間時間でちょこちょこ見ればいいのに「 せっかくならしっかりちゃんと観たいから」 というもっともらしい理由で先延ばしにする。そうこうしているうちにタイミングを逃し、 気持ちも落ち着いてしまったらなかなか手も伸びなくなる。自然と部屋の隅にディスクは積まれ、いつの間にやら地層を成すのでした。
これでいいわけがない。「積読も教養の内」というが、積み円盤はただの不燃物の山だ。
と、いうわけで。 この4連休はこの積まれに積まれた円盤を崩します。今まで受け取った特典という特典を享受しつくします。ただ手元にあるだけの燻っている物体を、再生することで本来の「特典映像」へと昇華できるのは私だけなのです。いいんだよ、だらだら流すんでも。それじゃ内容が頭に入らない?じゃあ何度も見ればいいじゃない。時間ならあるはずだ。なんせ今は緊急事態宣言中なのだから。
歳を取るのは素敵なことなのか?
「歳を取るのは素敵なことです そうじゃないです~か?」と中島みゆきに軽やかに問われても、 私は何と答えたらよいのかわからない。書いていて気づいたけど、この例えがわかる人がそもそも少ない。でも先行きます。時間ないんで。
今年も誕生日を迎えまたひとつ歳を重ねた。インターネットはいろいろ面倒なので 敢えてぼやかしたいが、ワクチン接種の問診票で年齢を書いてびっくりした。言葉にすると急に現実になる。マジか。マジなのだ。
――「私が虚しさを感じることがあるとすれば、あなたと同じように感じている女性がこの国にはたくさんいるということ。今あなたが価値が無いと切り捨てたものは、この先あなたが向かっていく未来でもあるのよ。自分がバカにしていたものに自分がなる。それって辛いんじゃないかな。私達の周りにはね、たくさんの呪いがあるの。あなたが感じているのもその一つ。自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからは、さっさと逃げてしまいなさい」(ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」最終話)
先日結婚を発表した星野源と新垣結衣がかつて主演していたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」 。若夫婦を見守るおば役の石田ゆり子演じる百合ちゃんが、かなりの年齢差のある恋愛について歳下の女子から揶揄された時にこう言って役と同じ世代から大きな共感を呼んでいたことはまだ記憶に新しい。 新しいとはいえ、もう云年前のことではあるが。 この云年を最近のことのように感じてしまうのも、 加齢のなせる業なのだとしたらちょっと素敵なことのような気もする。話が逸れた。
百合ちゃんのセリフ、誠に真実かと思う。そうなのよ、 みんないつかは歳を取るのよ。若いままではいられないのよ!! 百合ちゃんの言葉は私のように「 もう若いとは言いにくくなってしまった女」にしみじみと響いた。 膝を叩きまくり顎が胸にめり込むほど深くうなずきながら、 しかし私は同時にこう考えていた「では自分は、 後続の若い女子に胸を張ってそう言えるほど納得のできる歳の取り 方をしているのか?」
答えはNOだ。 残念ながら恥ずかしい年の取り方しかしていない。 でも加齢について憎むだけとも思えない。 なんとも複雑な気持ちで焦ったりあきらめたり笑ったりして日々を過ごしているのである。 そしてそれは今に始まったことでもない。もうずっと、 最初に『加齢』 という言葉と向き合ってから10年近くこの気持ちを抱えている。 その理由が何なのか。加齢とどう向き合えばいいのか。 誰かのヒントになるようなものはないとしても、 もしかしたらこれから綴ろうとしている駄文を読んで安心したり共感してくれる人もいるかもしれない。 何より自分の記録として残しておきたいので、 このブログを書いていこうと思う。
けどまあ、これで終わるかもしれない。他に時間を使いたくなったら容赦なくそうします。残された時間はきっと、私が思うよりも早足だろうから!!やりたいことを、やれ!!